2009/10/06

略す=便利、その後には?

最近、良く耳にする高校生を中心に使われている略語。

もちろん、意味なんて分かりません。
自分たちだけの、暗号か言語なのかな?
まあ、それはそれで良いんだけど、元の意味さえ理解していればね。

その若い人達の略語についての記事を読んでいて思い出しました。
昔、カフェの厨房でバイトしてた時に私にとっての、事件。。



当時流行だしたオープンカフェ(何年前?)。小洒落た店構えだったのもあり、
ホールのバイトは若くて可愛らしい、普段接する機会の無いタイプの人が多かった。
(私の周りに居たのは、もっと泥臭い連中ばかり。。)

お天気話さえも全く噛み合ず、あろうことか人が必死で魚を捌いていたら
「気持ちワルーーーイ!それ、食べるんですかぁ?」
「お魚さん、かわいそーーー!」
と、鼻にかかった声で騒ぐような人達だった。
もちろん、それ以降その人達には魚のまかないは出さなかったけど。。

その人達は暇を見つけては厨房に入って来た。
手伝ってくれる訳もなく、 若い男の子のバイトが居る時だけ。

ホワイトシチューの仕込みの最中にいつものように邪魔しに来た彼女は、
「わたしぃ、シチュー得意なんです!」
って、言うのを聞いて、何気に聞いてみた。
「へぇ、どうやって作るの?」
「えっと、お野菜切って、煮て、白い四角いのん入れるんです。。」
「・・・」
根本的に、そこで得意と豪語するのも問題だけど、その後が大問題。
「白い四角いの無かったら、どうするの?」
「そんなの、作れないに決まってるじゃないですかぁ。」
「白い四角いものって、ここ(厨房)には無いよ。何の材料で作ってるか知らないの?」
「だってぇ、プロじゃないもん、私。知りませんよ・・」

そう、彼女はホワイトシチューは何の素材で出来てるか知らなかったんです。
ホワイトシチューは何度か作った事あるけれども、"四角い白いもの"は何なのか、全く興味も関心を持たなかったんです。
さんざん厨房うろうろして、知る機会は山のようにあったのにも関わらず、見てなかったんですね。。。
つい、意地悪心が沸き出して続けて聞いてみました。
「じゃあ、カレールーが無かったら、麻婆豆腐の元が無かったら、カレーも麻婆豆腐も全く作れないの?」
「・・・うん、きっとお母さんでも作れない思う。」

この会話があってから、少し考えてしまいました。
市販のルーや○○の元って、本来の作り方を略して手軽に出来るようにされた物です。
それはそれでとても良い物のはずです。とても便利ですね。
でも、使う人が便利になっていると気づかなければ、全く別の物になってるんじゃないかと。
本来の意味が消えてしまっているような気がするんです。

料理の話とは違うんですけど、大学生の頃、教授に
「今の若い人は、仕組みに興味を持たない。もったいないなあ。」
って、言われました。

「バイクは好きでも、どういう風に作られているか知らない。作品が好きでも、生み出された背景を知らない。
なぜ、そのものに興味が湧いたのなら、そのものがどうやって動くのか、生まれたのか知りたいとなぜ思わない?」

言われたその時は、うまく理解出来なかったけど、厨房事件の後、自分なりに理解出来たような気がしました。

工夫をして得る事が少なくなったんだと思いますが、手に入れて終わっていると本来の姿を見失って、何も分からなくなっていくんじゃないかなあと感じてます。


言葉についても、略語(KYとか以外でも沢山あるよね、IPとかSEOとか色んなジャンルでも)も便利だと思うけど、本当の意味を理解して自分の言葉で人に伝えられるようにならないと、言葉が死んでいっていくように感じるんだけど、歳のせいかな。。
それとも、言語は生き物っていうから、どんどん進む進化についていけてないだけ?!

0 件のコメント:

コメントを投稿