2009/09/15

9月15日

9月15日。

よく可愛がってくれたおっちゃんが亡くなった日。
私が19歳で、浪人してた年だった。

おっちゃんは結婚もしてなくて子供も居なくて、
私と弟を、本当に可愛がってくれてた。



末期の癌と知らされたのは、亡くなる1ヶ月前だった。
何がどうなのか全く理解できず、ただただ泣く母を見ていた。
母が泣き止み気を取り直したので、病室に行き戸が開いた時、理解した。全部。
起き上がる事さえもう出来ないのに、随分と喜んでくれているおっちゃんを見て
間違いの無い真実なんだと、出てこようとする涙を歯を食いしばって止めてた。。

おっちゃんは、とても私が来た事を喜んで、手をこちらに伸ばしたんだけど、
怖くて、近寄る事が出来なかった、本当はそうするべきだと分かってたんだけど。
真実を知らなければ、普通に出来た事だと思う。
今でも、その情景が頭から離れない。

その数分後、呼吸チューブの交換時に意識が無くなったまま、二度と、目は開かなかった。。

そこから一ヶ月、昼間は私、夜は母が付き添った。
当たり前だけど、何にもする事は無かった。

最初は、病室でお茶を飲む事も、ベッドに近づく事も出来なかった。
でも、日が経てば人は慣れる。。。
食事も出来るようになり、私はデッサンまで病室でするまでになった。

何度も、何度も、何度も、心臓が止まりかけ
その度、不快で無表情な電子音がなり、
その度、薬の量が増えていった。

ベッドで横たわったまま、骨と皮だけになってしまったおっちゃんは、
意識が無いはずなんだけど、苦しそうで、申し訳なさそうで、悲しそうだった。

最初の頃より薬の量が10倍まで増えた頃、担当医から、
「次はどうしますか?」
と尋ねられた。
私も母も、何の意味か全く理解出来ずに顔を見合わせてたら
面倒臭いような、飽きれたような口調で担当医は説明してくれた。
「このまま薬の量を増やせば延命はできますが、他の臓器がもう機能していません。
次に心臓が止まりかけた時、薬の量をふやしますか?それとも、そのままにしますか?」
というような内容だった。。

9月15日の深夜、薬を止めたという母からの連絡ですぐに病院へ行った。
弟は、おっちゃんが意識不明になってから初めて病室にきて目の当たりにしたので
入り口から入れず、下を向いて声を殺して泣いていた。可哀想な事をしたなあ。

それから、1時間程して完全に心臓が停止した。

病室から出て廊下の向こうをおっちゃんが歩いて行ったように見えた。
涙は出なかった、悲しみというより、やっと楽になったんやなあと思ったのを覚えてる。



それから、おっちゃんの宗教の関係でお墓は点々とした。
あまりお墓ぽくないので、数年に一度母について行くぐらいだった。

でも、去年の今日、ちょうどつらくてつらくて仕方ない時期に
どうしても行かなきゃあかんような気がして、一人で車でお墓まで行った。
行くまでは、何ともなく久しぶりに遠出気分で。今日とちがって残暑の厳しいお天気だったな。何の目的で走ってるのか忘れるくらいだった。

迷いに迷いやっと辿り着いた頃には、こんな遠くまで来た事を少し後悔してたくらいの気持ちだった。拝むまでは、本当に。

でも、手を合わせて、拝み始めると、止めどなく涙が溢れてどうしようもなくなった。
理由なんて何一つなかった。頭の中も涙でいっぱい。体の中も涙でいっぱい。
他の人が近くに来るまで気がつかなかったけど、嗚咽が出るくらい泣いていた。

それから、少しずつ少しずつ、霧が晴れて周りが見えるようになったと思う。

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