2009/09/14

冥途:内田百聞

良く本を読む人(本人曰く活字中毒らしい)に、内田百聞を勧められた。私が好むんじゃないかと。。

むかーしむかしに読んだような気がしてたんだけど、
本棚に見当たらないので、近くの本屋さんで探してみたら
まあ、一冊だけあったので買ってきました。。

少し分厚い本だなあと思って帰ってから見ると、36編も入っていました。

どのお話もおいしくいただけたのですが、段違いに好み感じだったのがこの「冥途」でした。



本を読んでいて時々しかないのが残念ですが、「肌に合う」とういう感覚にあいます。
読むという行為さえ、意識しなくなる感じです。(もちろん、読んでるんですが)
よく云われるのが、話の中に入り込むという表現がありますよね、、それと一緒なのかしら。。

始めの数行目にある
ただ何となく、人のなつかしさが身に沁むような心持ちでいた。卓子の上にはなんにも乗っていない。淋しい板の光が私の顔を冷たくする。
これで、ノックアウトです。やられてしまいました。。
ここから、胸の真ん中にざわざわとした感情のまま、そして淋しくて淋しくて悲しくて悲しくて仕方ない状態でした。。。。
その悲しみの源を忘れている。
この言葉の通り、何がなぜどうしてが無いままでも、内臓から染み出てくるような淋しさと悲しみに溺れてしまいました。

本当に肌に合う話に出会えて良かった。。。
話の詳細は忘れがちなんですが(本当にもの忘れがひどいのです・・・)、その時の感じたものはずっと体の真ん中に残っています。

他のお話も、独特の雰囲気をもった、不思議な味のものばかりでした。
現代ではない日本という国の、律儀で今よりも少し時間が緩やかに進んでいる日常生活のすぐ側に当たり前のようにある、非日常みたいな印象でした。
今度は旧仮名遣いのものを読んでみたいと思いました。そうすれば、もっと雰囲気に浸れるような気がします。

機会をくれてありがとう、Addiction to the printed word さん。

・・・なぜなの、Amazonさん。なぜ、「聞」が平仮名なの?教えて。。。

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