2009/08/25

日だまりの電車で

初夏の透き通るように晴れた午後でした。
人気の少ない車内で、何も考える事もなく
座って向かい側の窓の外を、ぼんやりと見て、
ただ 電車の乗っていました。



2両編成のローカル線で、思い出すたび、
「長閑って、こんな雰囲気のことなんだろうなぁ」
と、感じます。

幾つ目かの停車駅から、十数人の園児が小豆を播くようにザッと乗り込んできました。
やんちゃそうな男の子の塊や、もうすでに女の子を意識したおませさん、
引率の先生に話を聞いてもらいたくて仕方のない子たち。。。

「こんなにサイズが小さくても、色々なんだな。」
と、観察していました。

みんなそれぞれ、手にはバケツやら、ビニール袋を持っていて、
小さな魚が入っているようで、小さい人ながら大切そうに持っています。

どうやって育てようかとか、どんなに大きくなるのかと
小さな目をクルクルさせながら、とても楽しそうに話ていました。

楽しい騒がしさから外れて、私の隣には女の子が一人、少し離れて座っていました。
一人ですが、彼女は満足そうに本当に大切で大切で仕方ないように、
小さな右手で袋の上をにぎり、左手で袋の底を支えて
水のはいったビニール袋を、胸の前で抱えるように持っていました。

その仕草が、小ささと一番マッチしていて可愛らしく思いました。
真っ直ぐの黒髪には寝癖などなく、
グリーンの体操帽子をきちんとかぶり、
白く丸襟のシャツのボタンは一番上まで留め、
赤いジャンパースカートのプリーツは曲がってなどいなく、
白いハイソックスにはさくらんぼの飾りまでついてます。

完璧でした。
周りの騒がしさが遠のいていくように思いました。

ただひとつ、足りなかったのは「魚」です。
どう見ても、水の入ったビニール袋には
水しかないのです、魚が居ないのです。


どうしても隣の彼女から目が離せなく、
どうしてそんなに大切そうに水の入ったビニール袋を持ってるのか
気になって気になって仕方なくなりました。

「誰かの為に、水だけ運んでるのかな?・・・いじめ?」
「お家で飼ってる金魚のためかな?」
「先生に何でもいいから持って帰れって云われたのかな?」

普段は絶対しないのですが、聞きました、私。彼女に。

「それは何?」

小ささと比例するような、小さな声で
水の入ったビニール袋を見たまま、満足そうに答えてくれました。

「かいがら」


小さな小さな貝殻の欠片が、底に沈んでいました。。。
かけらです。かいがらの。


窓から差し込む日差しにキラキラ反射する水と
小さな貝殻の欠片と
小さな彼女の満足そうな顔と
彼女の中の想像できないくらい広い世界に
涙しか出ない私。


あの時の感覚、未だにうまく表現出来ないな。。
体の真ん中を打ちぬかれたような、
脊髄の神経が一瞬で無くなったような、
石膏像が床に叩き付けられて粉々になったような、
愛おしくて仕方ないのに無くしてしまったおもちゃのような、、、

十数年経った今でも、忘れられないし、忘れたくない。

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